いざ出撃

平成11年に出会ってから毎日のようにご指導頂いた田形竹尾先生が亡くなった。2月の末に函南町議の植松さんを誘ってお見舞いに行ったのが最後になってしまった。

平成20年3月10日、午前8時51分に・・・という数字が、田形先生らしいが・・・。

14日お通夜、15日葬儀であるが、卆寿に集まって下さった約400人程の大切な方々に連絡をしなくてはならない。まだ議会中であるし、予算委員会では、私の質問する場面も残っている。

議会中、ずっと体調が悪くても、休むわけにもいかず、やっと土日となったので、2日間、全ての行事(土日は、会合が重なっている)を断って寝ていたが・・・・。

10日、田形先生の息子さんから連絡があって・・・・。体調が・・・と言っている場合ではなくなってしまった。田形先生のこの世の最後のイベントであるから納得のいくものにしなければ・・・・・。

14日のお通夜の日は、議会の最終日と重なっている。議決の日であるので、早退はできない。議会は、5時を廻ってもなかなか終わらない。

終了後、走って駆けつけると通夜法要は始まっていた。 本当は、司会の人との打ち合わせがあったのだが・・・・。

徹夜でつくったこれまでの写真や資料のファイルは、息子が持っていってくれたし、私の代わりに息子が午後早くからお手伝いに行ってくれていたので、何とかなった所もあったが・・・・

お通夜の最後の、司会の方の「安らかにおねむり下さい」という言葉を聞いて「えっ」と思って。ああああ・・・・・それじゃあ、普通の葬儀になってしまう・・。やはり、司会との充分な打ち合わせが出来ていなかったのだ。

お通夜は、150人位いらして下さって・・・。

式場には、自衛隊で講演をさせて頂いた時、F1に搭乗(飛びはしないが)した時のにこやかな写真が中央に飾られているが、満足げな写真である。

柏崎市議会議員の三井田さんから、午後6時頃電話があり、議会が6時に終了したので10時には会場に着くとの事で、式場で待っている事にした。

田形先生の教え子の元特攻隊要員だった増山さんと、一緒に泊まる事になるかも・・・なんて冗談を言っていたが、九州の妹さんや姪っ子さんと皆で、式場の和室で泊まる事になった。

増山さんとは、ゆっくり話した事はなかったが、特攻隊員の練習の様子を詳しくお聞きしてため息が出てしまう。田形先生は、死ぬ為の練習をする教官はやりたくないと何度も断ったようだが、「お前しかいない」といわれて教官となったようだった。

船の形を描いて、空から突っ込む練習はものすごくきつかったようだ。そのまま地面に激突した方が楽だと何度も思ったし、練習中に飛行機が上がらずにそのまま激突した人もいたとか・・・・・・・。何と悲しい・・・。

終戦の前日に、田形先生も特攻命令を受けている。

敵兵も部下も何人も死なせてしまったと、終戦後、実家に帰ってから3ヶ月程、畳に写真を並べて涙していたと兄嫁さんからお聞きしたが、何とも切ない。

戦争はしてはならない。だからこそ政治家がしっかりしないとならないのだが・・・。

15日、告別式。朝から、書いてきた司会の用紙を渡し告別式の打ち合わせ

お通夜の時、「安らかにおねむり下さいと言われましたが、安らかに眠って欲しくないんです」・・・と、つい言ってしまった。安らかに眠るはずがない。あちらの世界でも大忙しのはず。

10日に先生が亡くなって・・・お通夜の時から泊まった時も、ずっと感じていたのだが、田形先生が、先に逝った教え子や戦友に会ってにこにこしている笑顔しかうかばないのだ。

悲しみも淋しさも感じないのは、いったい・・・・。

「後をたのむ」と散って逝った方々に「きちんと後を頼んできたよ」と満足げにおっしゃっている雰囲気が会場に流れている。

たくさんの方々が、参列下さったが、田形先生が、「おお良く来てくれたな」と歩き廻っているいる錯覚を(気配を)数度感じた。

誰も信じてはくれないが、絶対に歩いていたのだと思っているのだが・・・。

弔電は、束になって約40センチも積み上がっていたので、読んで頂く以外は、机に並べたが、二つの長机にも並びきれない。生花は30本以上。

水島監督の弔辞も素敵だった。

最後のお花を入れる時、桜の枝のまま入れるので花・花・花・・・・。花に田形先生がうずまっていた。お菓子の「ひよこ」まで入っていてちょっと可笑しい。

喪主であるご長男の最後の挨拶の後、柏崎市議の三井田議員と植松函南町議と私の3人が、マイクの前に立ち、皆様で田形先生を送りましょう・・・と”出征兵士をおくる歌”を歌ったが三井田議員は、泣きながら歌っていた・・・・。Photo

知っている歌だったので、大きな声で歌ったが・・・。

最後の「いざ出撃でございます」の司会の言葉が 今も耳に残っている。

今後も私達と一緒に、先頭を歩いて活動して下さるだろうなあ。

いい葬儀だった・・・・。心あたたかくなる・・うれしい葬儀は、始めてである。

何とも・・・素晴らしい生き様、死に様を見させていただいた事 感謝しかない。

「松浦さん人間の死に様を見ておきなさい!」と言って下さっているようだった。生きる事にも死ぬ事にも真剣、全てにおいて真剣だった田形先生から直接学んだ事は多い。

有難うございました。

15・16日と会派の女性議員は長野視察で先に行っているので、告別式が終わるとすぐに東京駅から長野へ・・・・・。

2泊、自宅に帰っていないが、そんな事もあろうか・・・・と準備してきて良かった。

15日は、白馬に泊まって「都会の子供との山村交流」の話を、現地議員、議会事務局の方々と語り合い。16日は、セシオン杉並にて「南京の真実」上映会のため、朝食後、帰京。何だかものすごいスケジュールだった。