福島原発から34キロの避難所、そして、仙台へ・・・救援物資をお届けする

318日、福島の現地から「水」が足りないとの要請あり、19日に、福島に救援物資を運んで行くことになった。(緊急車は、許可があれば通行出来る)

急であったが、とにかく物資を集めなければならない。

ほとんどのガソリンスタンドは、閉店で、空いているスタンドは、ガソリンを入れる車で渋滞状態。これでは、行く事も出来ないし帰りのガソリンがなければ帰ってくることも出来ない。

近くの懇意にしているガソリンスタンドの社長に、緊急に物資輸送しなければならない事を伝えると、そういう事なら、何とかしよう・・・と、トラック3台の軽油と車2台のガソリンを満タンにして下さった。Cimg8404

帰りのガソリンは、ガソリン缶がなければ、持って行くことは出来ないが、息子達が、ガソリン缶も友人知人からかき集めてくれて、何とか帰りのガソリンも調達。

急であるのにトラックの手配をして下さったのは、Oさん

灯油も欲しい。スタンドには、ストックが少ししかなかったが、ありったけの灯油18ポリをそろえて下さった。感謝!

高速道路は、許可された緊急車以外は、通行禁止。時々、道路が盛り上がっており揺れたが、目的地まできちんと行く事ができた。何故、国がもっと早く物資を運べなかったのか不思議な気がする。信じられない。

急な支援行動要請に応じて下さったのは、荒川区の小坂議員、中央区の二瓶議員、大田区の犬伏議員。

いつも一緒に活動している「頑張れ日本全国行動委員会」の有志の方々と共に、色々な物資を積み込んで、福島楢葉町の中央台南小学校に向かった。

ところが、小学校には、すでに多くの食料が積み上げられ、水も一杯ある。丁度、自衛隊が物資を届けて下さったという事であった。水は、すでにあったので、灯油を10ポリ、お渡しする。Cimg8439 お風呂に入れないのだから、肌も唇も乾燥するだろうと「リップクリーム」を大量に買い込んでおいたが、「唇も乾いています」と、喜ばれた。何が必要か判らなかったが・・・まあ・・・良かった。

次は、いわき市の合同庁舎へ・・・・。

「楽寿会」という高齢者施設は、原発から34キロということであったが、30キロ内の方も避難されており、食堂までベットが入っていた。

職員の方は、川の水を汲んできてトイレ等に使っているので、とても大変そう。

(私は、娘から「原発怖くないの?」と聞かれたが「もう子供産んだし大丈夫よ!たとえいま死んでも本望。なにかあったら後は任せた!」と笑顔で回答したらしい。・・・娘のフェイスブックに、あわただしい様子が書かれていた・・・。)

次に行った「いわきふるさとの楽園」は、暗くなっていたので、廻りが良く見えなかったが、施設のフェンスが、なぎ倒されており、すぐそばまで津波が来たことが判る。水をリーレーで渡している時に、地震があったが、思わず靴箱にしがみついてしまった。

予定では、物資をお渡ししたら帰る事になっていたが、小学校には、すでに水があったので、トラックに水が残ってしまった。「ふるさとの楽園」の近くの町会にも物資をお渡しして感謝されたが、まだ残っている。

水を欲しい人はたくさんいるはずなのに・・・・。

日帰りの予定だったので、泊まるとすれば泊まる所があるのか、等々、調べて、結局、2tトラックとワゴン車2台は残り、他の人は、トラックで帰る事になった。

3月20日、朝5時宮城へ・・・出発。

宮城県の、「西花苑コミュニティ」で水を降ろす。1部屋づつ、段ボールを持って訪問したが、「水は、命なんです。東京からいらしたのですか・・・」と涙ぐまれてしまった。Cimg7805

建物は頑丈で揺れも少なかったようだが、水には困っていらした様子。心細かったでしょうに、もう少し早く来られたら良かったのに・・・。

水、500ml24本入り段ボールを620箱、灯油約400リットル位、歯磨きセット5000本、大人用おしめ、子供用おしめ、ティッシュペーパー、ウエットティッシュ、帰りのガソリンや軽油等々、4トントラック2台、2tトラック1台、ハイエース2台の計5台に詰め込んでのキャラバン隊は、役目を終了。

あちこちで、津波の凄さを見せつけられて、何とも胸が痛い。日本文化ch桜の撮影隊は、仙台空港に行くとの事で、私たちも行かれる所まで行こうと同行した。Cimg8567

仙台空港周辺は、何ともはや・・・・・。想像を絶する光景に声もなし。

空港のポールに横にぺしゃげて折れて止まっている乗用車。なぎ倒された鉄塔。まるで、見渡す限り廃棄物の集積所ようだ。

途中で自衛隊の方々が、作業をされていたが、一つ一つ手作業で・・・いったいいつ復興するのだろうか。Cimg8524

20日の午後8時過ぎ帰宅。

日頃の人と人のつながりが、どんなに大切なのか、改めて思い知らされたが、現地の方に、「東京で何かあった時は、駆けつけます!」と、言われた時は、何とも・・・嬉しいかった。

復興までにどのくらい時間がかかるのだろうか、途方にくれそうだが・・・・。日本人は大丈夫。心を一つにして助け合いたい。