被災地へ自転車を持って行く

5月31日、石巻の商工会議所にて、復興のための支援についてお話をしに行った。

石巻港付近を通ってから市街地に入ったが、港付近は、ものすごい臭い。舟が、まだ陸にあった。Cimg9024

途中で学校があったが、3階まで焼けている・・・何が起こったのだろうか・・・。Cimg9034 Cimg9033子供達は避難出来たのだろうか・・・。

2か月以上経っているのに、周りのお墓もそのままで、土台のみになっていたりお墓とゴミと一緒くた。

自衛隊のトラックが、荷台にがれきを積んで何台も行き来していたが・・・・。 いったい復旧までどのくらいかかるのだろう。

石巻市街に友人がいるので、前日に電話で話したが、「一階のお店は水に浸かったけれど大丈夫。もっとひどい所がたくさんあるので、頑張っている」と言っていたので、安心していた。しかし、大丈夫所ではない。

石巻から山元町へ・・・・自転車100台を持って行く。Cimg9051

役場にて町長とお会いしてお話をお伺いしたが、リーダーによって町の状況がまったく違うのには、驚いた。

新聞等では、自衛隊の方々が、命令がなく、動けない部隊もいたとあったが、山元町では、緊急事態であるので、自衛隊にお任せしながら、事務やその他の業務をしていったとの事。

そのため、罹災証明書を迅速に住民に渡すことが出来た。住民の皆さまは、罹災証明書を元に国から補助金をすみやかに受けとる事が出来たようだった。それだけでも、どれだけ心の支えになったろうか・・・。

山元町は、台風も避けて通るぐらい災害のない町だったが、今回 多くの被害があり、当時は、笑うしかなかった・・一週間経って、現実であることに悲しみや複雑な思いが出てきたと語って下さったが、お聞きしていても胸が痛い。

電話もつながらない状態で、町長が逃げた等々、心ない非難もあり、すべて話される事はなかったが、言葉からご苦労された事がうかがえる。

もともと、県の災害対策の仕事をされていたので、その経験が多いに役立ったようであったが、お話をお聞きしているだけで、人格者だという事がわかる。緊急時におけるリーダーの在り方について学ばせて頂いた。Cimg9045

庁舎の入口に、大きく「10師団の皆様、長い間お疲れ様でした」と書かれてあったので、お聞きすると、部隊が帰られる時に皆で感謝会をされたらしい。

中学校は、平常通りとなっており、校庭では、サッカー部が活動してており、音楽室からも練習の音が聞こえている。

坂元駅は、津波で跡形もなく、線路も飴のように曲がっていたので、(映像によると・・・)復旧には時間がかかるとの事。自転車はとても感謝された。中学生の表情がとても明るく、きちんと挨拶する様子に、こちらの方が励まされるCimg9058Cimg9054

中学校にも「自衛隊の皆さんありがとう」と書かれてあったので、校長先生にお聞きすると、校舎の中庭で、感謝会をされたという。

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生徒や被災された皆で卵の殻で「かえる」を作ってお渡ししたという。「感謝。自衛隊のお陰です。ありがとうございます。」と書かれてあったが、どんなに喜ばれたろうか・・・・。Cimg9056

体育館には、避難された方々がおられて、お話をお伺いしたが、どの方も、自衛隊に感謝の言葉を述べられていた。

自衛隊の皆さまに主人を捜して頂いたんです」(亡くなっておられて・・・何と申し上げて良いのか言葉がみつからない)

「首まで水が来て駄目だと思った。傍で皆流されていった。水が引いてから二階に登ったが、自衛隊の姿が見えた時は、助かった・・・と思った。感謝している」等々・・・。