光塩会同窓会での先輩達

東京家政学院大学の理事として、朝から飯田橋の会場へ・・・。前日には、全国から集まった支部長会議があり(私は議会の為欠席)、今日は、評議員会・総会・ジョイント同期会。

会員部部長でもあるので、評議員会でも総会でも事業報告や活動方針を報告するのだが、何度も同じ報告をするのも何だかなあ・・・。

懇親会にて、80歳以上の数人の先輩女性が、紹介されたが、皆様元気で何となく品がある魅力的な女性ばかり。80歳以上になってから、後輩に素敵!!と言われる生き方が出来たらいいなあ・・と思う。

84歳の先輩女性は、学校を3月に卒業して4月にお見合いし、その場で結婚の申し込みを受け、5月に結婚式、その後、夫は戦争に行き、復員、等々、ほんの少しのお話からも学ぶ所がある。それぞれの先輩から過された人生のお話がお聞きしたかった。素敵な味のある女性の生き様から、学ぶ事は多い。

創立者の大江スミ女史は、女子高等師範学校を卒業後、沖縄師範学校に勤務中の1902年に文部省留学生として、「家政学」の研究のため、英国留学を命じられ、(夏目漱石の英国留学の2年後)見聞を広め、そこで女子教育、家政教育の重要性を認識することになったという。

大正時代に、これからの女性は教養もあり、品もあり家を守るという技術も必要と考えられ、1.学問深く、知識の広い人 2.品性の高い人 3.家庭生活に必要な技能に熟達した人、を望ましい女性像とし、そのような女性を育てることを理想としPhotoた。

建学の理想は、今でも、KVA精神(Knowledge知、Virtue徳、Art技)として今日に受け継がれている。

私も、母より、内助の功の立派な女性になるよう・・・と・・・家政学院に入学をすすめられた。和裁、洋裁、和食、洋食、お客様の迎え方、礼法、ダンス、等々、卒業時には、いつ結婚しても困らないように躾けられたが・・・あまり、まじめな生徒ではなかった。

友人達と、「学友会の会長」・「クラブ連合委員長」・「学園祭委員長」に立候補し3人とも当選。今考えると、その頃から活動???

若い頃は、娘達の洋服は手作り、白いブラウスを買ってきてそこに大きな流れるような花の刺繍をするのが好きだったし、息子の七五三の袴も自分で縫ったが・・・。

今では・・・・・。