天皇陛下を侮辱されて・・・悲しくって・・・眠れない

8月15日に行われた天皇制に反対する人達のデモ行進の様子が、目に焼き付いており悲しくって眠れない。ものすごく疲れてしまったので少し早目に寝たのだが・・・起きてしまった。怒りと悲しさと・・・何ともやりきれない・・・彼らは日本人なのだろうか。

8月15日は、日本が敗戦し、占領が始まった日。

アジアでの当時の独立国は、タイと日本のみ。アメリカ領だったりイギリス領だったり・・・・世界の情勢は、白人によるアジアの植民地化だった。黒人や黄色人種への差別はすごかったらしい。道路の真ん中は白人しか通れず、現地人は、溝を歩いた等、現地の方からお聞きした事がある。

アメリカは、戦争はいけないという国内の世論をおさえるために、どうしても日本が先に戦争をしかけたという事にしなければならなかった。日本に挑発してきた。

(真珠湾攻撃もアメリカは情報として知っていた。にもかかわれず・・・パールハーバーに「アリゾナ」を残して他の軍艦は避難させた・・・。それって、「アリゾナ」の1177人の青年たちは、見殺しにされたってわけ?戦争をするために??今も、パールハーバーの海に「アリゾナ」は墓として残されているが・・・・)

結果的に日本は、追い詰められ戦争に突入。

私は、いったいどうして戦争をしなければならなかったのか納得がいかず、図書館に行って当時の新聞を一所懸命に読んだ時期がある。マスコミは、戦争を煽っていた。(マスコミは、事実のみ伝えるのが役目のはずだが・・・今も世論を誘導している)

昭和20年、敗戦。戦後生まれで、日教組の先生の指導を受けていた私は、何故天皇陛下は戦争を止める決断ができたのに戦争を始める決断をされたのだろうか・・・天皇陛下が日本のトップだとしたら、戦争の責任は天皇陛下にもあるのではないか・・・と、漠然と思ってきた。

中学生の頃、「戦争の責任者は、天皇陛下なのか」と母に聞いた事があったが、「何言ってるの・・・」と言われてしまい、その後、深く考えもせずに生活してしまってきた。

毎年、春休みになると橿原神宮の研修所に全国の高校生が集まり、親孝行の話しや大戦で亡くなられた青年たちの遺書を聞かされたが、今、思うと、、「戦争の責任者は、天皇陛下なのか」と聞く娘を案じた母心だったのかもしれない。

ある時、天皇陛下が、敗戦後に全国を歩いておられる映像を見せていただいたが、何故か不思議な感情が湧きあがってきた記憶がある。もし、陛下が、戦争の責任者であったら全国の国民があれ程歓迎し慕うはずがない・・・・・・と・・・・。

天皇制反対のデモ行進で、天皇陛下の似顔絵の下は、骸骨になっていた・・・・機動隊の隙間からしか見えなかったが、あんまりである。Cimg7010

多くの機動隊を出動させ、多くの警察のバスも一緒にデモを守りながら進行していたが、いったいどの位の費用がかかっているのだろうか。税金をこんな事で使っていいのか・・・

やっぱり再び腹がたってきた。何故、私達が檻の中で、おかしなか彼らが守られて行進しているのか許せない。8月15日を騒乱させた人達に告ぐ・・・。罰があたるでしょう・・・必ず英霊は見ていますよ。