パール判事の碑
熱中症か夏風邪か・・・何となく体力が落ちているが、靖国神社で約束をしてしまった。
うーん。どうしよう・・・車で行ってもらおうとの魂胆で息子に「遊就館」見たくない?と誘ってみたら以外にも行ってくれるという。
昔の「遊就館」は、学校が近かったせいもあり、何度も見学に行って、若い青年の達筆な字に感動しながら遺書を読んだ。
子育て中は、行く事もなかったが、子供達が、大きくなってからは、「遊就館」での遺書は、息子達と同世代で・・・・・読むのがつらい・・・。
母親がどのような思いで息子を戦争に・・・と思うと切な過ぎて遺書は読めなかった。
いつも、時間がなく途中で出てしまうので、一度ゆっくり読んでみようと思っていたが、今回も、体調が優れなかったせいもあるが、途中で出てしまった。
一日かけて拝観が必要なほど充実した内容であったのに・・・・
館内で、若い女性3人の声が聞こえた・・・「戦争って人殺しよね」・・・
当時、タイと日本だけが独立国であって、他のアジア諸国は欧米の植民地だった。
平和な今の目で戦争をとらえては、大切な命を賭けて散って逝かれた方に申し訳ないと思う。
敗戦の降伏調印のミズリー号の甲板には、昔、日本に開国を迫った黒船に掲げられてあった星条旗
が、掲げられていたという・・・アメリカからすれば、黒船以来の念願がかなった調印の日であったのだろう。
二度と戦わないようにとの、7年間の巧妙な占領政策は、次の世代を担う子供達の気力も元気も奪ってしまった。
今、やっと、当時の現実が検証されつつあるが・・・
「後の日本をたのむ」と散って逝った方々のためにも、私達は、しっかり行動しなければならないと思う。
「遊就館」をでるとその広場に、「パール博士の碑」があった。
最近、靖国神社境内に作られたと聞いていたが・・・・
パール判事は、東京裁判で日本が国際法に照らして無罪であることを終始主張し続けたインド人判事である。
京都霊山護国神社には、大きなパール博士の写真入りの碑があったが、あまり人が行かない様な場所であったのが残念であった・・・が、靖国神社境内にぜひ、行ってみて欲しい。