杉並区の疎開先宮城を訪問

昭和19年から20年11月の間、集団疎開により、杉並第三小学校の児童約350人が、吉岡町(当時)のお寺・旅館等を寮として分宿、吉岡小学校の校舎を借りて、杉三小学校の分校として授業が行われていたという・・・

そのご縁で、吉岡小学校と杉並第三小学校とは、今も交流が続いています。

平成5年、「杉並の学童集団疎開展」がきっかけになり、平成6年当時の疎開児童27人が吉岡を訪問。

「50年目の再訪」として河北新報に報じられたと言う事で、記事も読ませていただいた。

その後も、吉岡小の児童に、疎開体験を語るため、同窓会の方々が訪問されているという・・・・が・・・

話と文章でおおよその事は判るが、「疎開」のイメージが判らない為、実際に宮城まで行って見ることにした。

石原同窓会長に同行していただき、私の”見なければ判らないので見てみよう”との視察であったのだが・・・

訪問してまず、びっくり!

吉岡小の校長室には、92歳の元校長先生である会長、元校長先生数人と現校長先生・教頭先生・教育長 他、10人程の方が懇談会に参加の為、待っていて下さった。

すごい!と思った事は、歴代の校長先生でつくっている会があり、吉岡小学校を支えている事。

その会の顧問に現教育長がなっておられる事。(素晴らしい女性教育長でした)

学校と元校長先生達・教育長の素晴らしい関係は、学ぶ事が多く、感謝!

雨のため、車の中から、中興寺・龍泉寺天皇寺等の当時が疎開していたという宿舎を拝見。

キャンプ場あり、つり、陶芸等、自然を体験するには素敵な場所もたくさんありそう、お互いに交流が出来たらいいなあ・・・・

石原同窓会会長は、「交流事業は、校長先生が変ると初めから説明しなければならず、何か形として残しておきたいのです」とおっしゃる。

せっかく、以前は、分校であったのだから、姉妹校として交流をつずけたらいいのに・・・と思いながら帰宅。

大和(たいわ)町の方々の暖かい心使いに感謝です。