チャンドラボース慰霊祭にて
蚕糸の森公園の近くの蓮光寺にて、チャンドラボースの慰霊祭がありました。
毎年、この慰霊祭にはご縁があって参加しているのですが、4月に、山田区長を団長として印度に視察にまいりましたので、今年は 違った気持ちでおまいりをすることができました。
印度の独立の父であるというチャンドラボースさんは、大東亜会議で素晴らしい演説をされたようですが、戦後の日本では、大東亜会議が何の目的でなされたのか、チャンドラボ ースがどのような人なのか教えてはいません。
日本から台湾にわたる時、飛行機事故で亡くなり、連光寺の住職さんが、61年ご遺灰を守ってこられたようですが、どの国にも自分の国を愛し、他の国の人をも愛し助け合い尊敬し合う人達がいらしたことは教えるべきだと思っています。
私自身、大東亜戦争と呼ぶ人は、右翼だと思っていた時期がありました。
しかし、蓮光寺に眠るチャンドラボースってどんな人?等、と学んでいくうちに、大東亜会議で、アジアの代表が 米英からの独立を唱え、人種差別撤廃の共同宣言がなされた事を知りました。
その会議には、日本からは東条英機首相が参加し、その他、タイ、フィリピン、ビルマ、インドネシア、満洲帝国、そして印度のチャンドラ・ボース代表が参加していたとのことですが、チャンドラボースの演説は熱狂的であったと聞いてもいます。
当時、アジアでの独立国は、日本とタイだけで後の国は、植民地で人間としての扱いをされず、道を歩くにも白人が通る時は、溝を歩かねばならず、白人と対等に住む事も話す事も出来なかったようですから、独立と人種差別撤廃は悲願であったのでしょう。
日本は戦いに敗れてしまいましたが、多くのアジア民族がこの戦争をきっかけに独立し、昭和天皇が亡くなった時は、多くの国の代表が日本に訪れました。
その様子をテレビで見て、日本がアジアを侵略したのならこんなに多くの外国の代表がくるはずがないのにと、びっくり致しましたが、印度では、日本より喪の日数が長かったと聞いています。
チャンドラボースさんの遺灰が何故杉並にあるのか、いったいその人はどのような人であったのかを知るだけでも随分いい具体的な近現代史の勉強になるのではないでしょうか。
歴史は、一面的に見るのではなく、多くの出来事を充分に検証していかねばならない事を痛感しているこの頃ですが、これまでの日本の歴史を作ってくださった方々への感謝の念を忘れず次ぎの時代に上手に伝えて行く事は、現代に生きている私達がしなければならない事です。
私は、「知らない事は罪悪ではない、知ろうとしない事こそ罪悪である」と自分の不勉強を棚にあげておりましたが、最近は、「知らないことも 知ろうとしない事も罪悪である」と思うようになりました。
母親が何も知らねば次ぎの世代に語ることもできませんから・・・もっともっと学ばねばなりませんね。